叶渭渠《日本文化通史》笔记和考研真题详解
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2.2 考研真题与典型题详解

一、次の漢字に振り仮名を付けなさい。

1禊(南开大学2011)

【答案】みそぎ

2神霊

【答案】しんれい

3祝詞

【答案】しゅくし

4倭人

【答案】わじん

二、穴埋め。

1古代日本では、鏡・玉・剣は_____といって、祭りの道具として使われ、豪族の権威の特徴であったと考えられている。(天津外国语学院2009)

【答案】三種の神器

【解析】在古代日本,镜、玉、剑被称作三种神器,用作祭祀的道具,象征着豪族的权威。

2五世紀に造られたと伝えられる応神陵や仁徳陵は代表的な_____である。(天津外国语学院2010)

【答案】前方後円墳

【解析】相传为五世纪建造的应神陵和仁德陵是代表性的前方后圆坟。3世纪末至7世纪,被称作“前方后圆坟”的大型坟墓最初出现在近畿地区,进而逐渐扩展到九州及东北地区。

3あらゆる自然現象の背後に魂の存在とその威力を認めている信仰を_____という。(天津外国语学院2010)

【答案】アニミズム

【解析】“アニミズム”意为“泛灵论,万物有灵论”,认为一切自然现象的背后都有灵魂及其威力存在。

4古墳時代に災いから逃れるために清浄な水で心身の罪を洗い流す「_____」、 水によらない方法で罪を取り除く「_____」という風習が生まれた。

【答案】禊、祓

【解析】古坟时代产生了“禊”和“祓”的风俗。“禊”指人的身上有罪和不洁时,用水洗净身体。“祓”指用不依靠水的方法去除罪恶等。

51784年に福岡県の志賀島から発見された金印には篆書体で「_____」の五文字が陰刻されている。

【答案】漢委奴国王

【解析】《后汉书・倭传》中记载,东汉光武帝赐予当时的倭奴国国王金印,上面印有“漢委奴国王”字样。

三、次の答えから正しいものを選び、記号で答えなさい。

1神道は日本固有の自然宗教であり、神道の神を祭るところが神社である。神道で言う神は_____ある。(东北财经大学2012)

A.一つ

B.二つ

C.三つ

D.無数

【答案】D

【解析】神道教从日本原始宗教发展而来,信仰多神,号称有80万神、800万神或1500万神,特别崇拜作为太阳神的天照大神。

2日本に関する最古の中国側の史書は何か。(四川大学2007)

A.『魏志』「倭人伝」

B.『漢書』「地理志」

C.『後漢書』「東夷伝」

【答案】B

【解析】《汉书·地理志》是中国最早记录有关日本的史书。

35世紀の大和政権の盟主は何と呼ばれていたか。

A.天皇

B.大王

C.皇帝

D.巫女

【答案】B

【解析】5世纪大和政权的盟主称为“大王”。

4収穫を感謝した秋の祭りを何というか。

A.祈年の祭り

B.相撲の節会

C.白馬の節会

D.新嘗の祭り

【答案】D

【解析】秋季进行的、感谢收获的祭祀称作“新尝祭”。与之对应,春季进行的、祈祷丰收的祭祀称为“祈年祭”。

56世紀に百済から五経博士が伝えたのは何か。

A.儒教

B.仏教

C.道教

D.神道

【答案】A

【解析】6世纪从百济来的五经博士给日本传来了儒教。

四、下記の用語を簡潔に説明せよ。

1渡来人(四川大学2009)

【答案】渡来人は主として古代に朝鮮・中国より日本に移住してきた人々の総称。

2言霊

【答案】言霊は言葉に宿っている不思議な霊威を指す。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。

3万葉仮名

【答案】万葉仮名は漢字を本来の意味を離れ仮名的に用いた文字である。6世紀頃の大刀銘・鏡銘に固有名詞表記として見え、奈良時代には国語の表記に広く用いられたが、特に万葉集に多く用いられているのでこの称がある。

五、次の問題を要領よく答えなさい。

1古墳時代の人々の信仰について簡単に説明しなさい。

【答案】古墳時代には自然崇拝のほかに、産土神の信仰や雨乞いの祭りも整い、氏の祖先神に対する信仰も進み、神話や伝承を語り伝えた。この祭られた氏の祖先神は奈良時代ごろから「氏神」と呼ばれるようになった。また、当時の人々は巨大な岩石や山、川などを「神の宿るところ」と考え、社を作って祭祀の対象とした。これが現代の神社の起源であると言われている。

2古墳時代の渡来人の役割を説明しなさい。

【答案】

日本の古代国家と古代文化の発展に、渡来人の果たした役割は大きい。4世紀末から5世紀に渡来した人々は戦乱を避けるための、百済や楽浪郡などの難民たちであった。このような難民は巨大な前方後円墳の築造や、5世紀中葉に展開された河内平野の開拓の土木・灌漑技術や高度な機織り技術を伝えてきた。かれらは各地に定着して、それぞれに氏族のまとまりを形成していった。

また5世紀末から6世紀中葉、戦乱の過程で渡来したのは百済の人々が主であった。のちの蘇我氏や須恵器生産をはじめ、進んだ諸技術を伝え、各種の部民を編成された人々である。